日々徒然 

5分で書ける程度の戯言

キュン⋆⸜🧡⸝‍⋆ する? しない? #朝ドラにおける恋愛考

 このままフォーリンラブ? 舞ちゃんと柏木学生

 

 

 進みが早くていいな、って……

 思っちゃうんですよね、そうですよね、沼民なら😂😂😂

 

 

 先にお断りしておきますが、「朝ドラ」と書いて私の場合大抵「おかえりモネ」なので、後で苦情のコメント投下したりしないでください。

 

 

 勝鬨橋の上や水上バスから眺める空はともかく、モネには東京の空は狭く感じられたでしょうね。

 気仙沼だって、水平線と山の稜線に囲まれて、とても広い空を見ていたはずです。

 空の姿って本当に刻一刻と変わるし、雲の形なんてほんとふわふわしたもの、一瞬です。自転車で走っている自分の目で見て美しいな、もう少し開けたところに自転車止めて写真を撮ろうと思うと、もう直前イメージした姿ではなくなってる。

 人は多いし、目まぐるしい。

 

 宮城の美しい海や山に囲まれて育ってきたモネに、東京の忙しさはどう映るだろう。

 生ぬるいものではない…… でも。

 

 

 菅波は、最初こそこんな田舎と思いながらそれでも医師を続けるために登米にやってきた。

 あの人、とっつきにくいけどわざわざ気仙沼のシャークミュージアムに寄ってこようなんて、あの頃にはわずかながらこの田舎にも馴染もうとしていたんですよ。

 しょっぱいけど、根は明るい。そうでなければ自分で楽しみを見つけてみようなんて思わない。

 あの日携えていたサメのぬいぐるみは、モネと視聴者のみならず菅波の直の上司である中村先生の心もグイッと掴んでいたんじゃないかなと想像するに至ります。

 いや、中村先生は元々そんな菅波の根っこの明るさを知っていて、信じていたんだろうとも思えます。だからこそ、東京でつまづいてしまった菅波をどうにかしたかった、あっちの道もこっちの道もあるよと示してあげたかったのかも知れません。

 全部菅波自身の経験値につながる、みよ子さんから投げられたカボチャを受け止めるのだって、本当はその一つです。

 

 

 菅波とモネは、互いに形を変えながら同じ経験を積んでいきます。

 菅波は、モネが森林組合の仕事にも打ち込み、その仕事にやりがいを見つけ、それでもなお彼女自身が希望を持って目指したい職業に就く、就きたいと思うことを否定しなかった。

 仕事をしながら独学するのは難しいだろうと参考書を整え、自らも同じことを学習しそれを彼女に解説していく。

 2度目の不合格のときだって気落ちする彼女を責めず、このまま森林組合の仕事だけでも良いんだよと優しく諭している。

 でも、だからこそ、難関を突破した彼女を引き止めもせずに大都会の荒波に送り込んだのです。

 変わってしまうかも知れない。

 世間の煩雑さに彼女の最大の美徳である”聴く・受け止める力”を損なわせてしまうのではないか〜〜

 それでもそれも良いと思う、人は変わる。それが彼女の心の根底にある大きな傷にどのように作用するのか。

 自分の仕事に誇りを持って、あるいは自ら自浄するように傷が浅くなるかも知れないし、忘れることもできるかも知れない。

 

「もうしばらくいまのまま東京と行き来して、こちらでは訪問診療を続けたい」

「ものすごく意外な答えが返ってきたので、少し驚きました」

「そもそも中村先生が僕に足りないものは何かって考えて、こっちに引っ張ってきてくれたんでしょ」

 

 僕は何かを考える前に手が動くようにならなきゃいけない

 痛いと言っている人がいたらその痛みに即座に手を当てられる、何も考えずに

 ただそういうことができる人間に、まずはならないといけない

 

 中村先生から投げられた”カボチャ”を、菅波が上手に受け取れた瞬間でした。

 

 

 さて。

 これが恋愛考っていうんだから、モネという作品は朝ドラの中でも特異というしかありません。 

 でも、ここまでの登米編で主人公ふたりは並行する道をずっと歩いている〜〜まるで北上川のほとりを歩きづつけたあの日のように。

 ふたりは別々に荷物を持ち、ただ同じ目的地に向かってひたすら歩きます。

 菅波は自らのささやかな楽しみのためのサメのぬいぐるみ。

 モネは実家から託された多分重量のあるトロ箱を。

 

 深いですねえ。

 

 あの日の菅波はそのトロ箱の重みに気づくことはなかった。

 そしてここです、この気の利かなさこそ、菅波のいいところ「仁に過ぎれば弱くなる」を地で行くような態度。

 りょーちんのように易々と手を差し伸べない。

 他の作品のように手を重ねて支えたり、きゅん💕みたいなシチュエーションはカケラどころか小指の爪の先ほどもない。

 この徹底した色気の排除こそ、この「おかえりモネ」の本当の色気だと思うのです、いや〜〜 

 色気の裏返し、とでもいうのかな。

 サメの頭を撫でた手で、モネの荷物の一つも持ってやりゃいいのに。

 でも菅波ってそういう人間じゃないんですよ、女の子だから恋愛対象になるわけじゃないの。それはモネも同じ。

 それでもいつか菅波はモネのトロ箱の重さを知ります。それがとてつもなく重く、そしてだからと言って簡単に下ろせるものではないとも知ります。

 どうして離してしまわないんだろう、と何度も考えたでしょう。それでも。

 彼はモネの生き方を否定しない。

 そしてこれもまた、モネも同じように菅波を否定することがない。

 互いに動けない山と山ならなかなか会えないけど、自由に泳ぐ菅波とどこまでも飛んでいけるモネ(百音)は人だったので、それも男と女だったので!

 最終的に恋愛の形になったのです。

 

「おかえりモネ」は恋愛表現をほぼ皆無と言っていいくらい排除しておきながら、人と人との繋がり、絆をテーマに、いつの間にかどの作品よりも深く濃く恋愛を描く作品になってしまいました。

 主人公たち以外、みんなミーハーだし。

 おばあちゃんからおじさんまで、みんなで恋バナ好きだし。

 かの朝岡さんだって、モネと莉子の会話をさりげなくもなく聞きニヤつく始末。

 

 でも、恋をする心って、とっても自然で人間として避けて通れないもの。

 広大な海で育って、山で働いて。 

 海を泳ぐ魚を獲って、田畑を耕してお米を収穫し食に充てる。

 木を育て、伐って家屋を建てる。

 

 普通もっと早く会うでしょ、納得いかないと言いながら。

 もっと早く会いたかったと素直に言えない菅波と、4ヶ月間離れてたけど距離は開いてないと言うモネ。

 

 

 朝ドラの定番、少女漫画のワンシーンのようなラブラブなシチュがなくても!

 

 ただとても大きな自然の環の中で〜〜

 

 穏やかに相手を求める心の動きにキュン💘とするアラフィフがいてもいいですよねぇ 

 

 ねぇ? 

 

 

 ねぇぇ!?